2015年3月14日土曜日

3月14日
私は滝沢市の「すいかっこクラブ」の代表をしています。被災地支援グループ9人で3年間、岩手県の被災地に物資、踊り、紙芝居、マジック、昔話などとどけています。昨年から全国の支援仲間から送られてくる衣類をバザーで販売し、お金にかえて届けています。

三重県尾鷲市の妙長寺の住職青木健斎さんは尾鷲の路上で支援カンパ活動を毎月11日に座し、4年目に突入。本当に感謝です。陸前高田市にも足を運んでくださって、海にむかって読経をあげてくれました。

今日も茨城県から段ボールがとどきました。千葉県、三重県、山梨県、神奈川県からも応援をいただいております。

2015年3月12日木曜日

3月12日 木曜日
昨夜の大雪で屋根の雪が今にもおちそうです。

ふわっと積もっているぶんにはきれいなのですが、、、。冷え込みかたまると、それが頭に落下すると、、凶器になります。北国のフキノトウはなかなかかくれんぼが上手です。
「みっつけ」と言うときまでまちましょう。天ぷらが最高です。

2015年3月11日水曜日

3月11日。
東日本の災害から4年目。あの日、あの時間外に飛び出し天にむかって「もう、いいです、やめてください」と叫んだあの日。まさか、沿岸に巨大津波が来ていたとは、、、3日後のインフラ回復でみたテレビの映像、「嘘でしょう」。
今日、岩手の内陸は大雪、荒れ模様。膝上まで積雪。車も道路まで家からでられません。もし、地震がきたら、、、玄関先に荷物は用意してありますが。外にでられません。1時55分から地元のテレビ局は特番。鎮魂の祈りをささげます。岩手山の麓にもサイレンが鳴り響く事でしょう。

2015年3月9日月曜日

3月9日
「地蔵車」。(念仏車ともいいます)写真をはりつけたいのですが、、貼付け方忘れて、、、戦前まで、村のT地路などに木でできた丈約2メートルぐらいの15センチぐらいの四角錐で、木の途中がくりぬいてあり、そこに車輪がはめこまれてあり、隣の地区から流行病などはいってこないよう、または車輪を1回まわすことで念仏をとなえたことになり、お墓の入り口、寺の入り口などにいまでも残っているところがあります。木でできているものはかなり朽ちていますが、、。石でできているものもあります。盛岡市円光寺では米内光政の墓の近くにあります。
「摩尼車」ともいいます。

2015年3月8日日曜日

3月8日
快晴。庭にやっと土がみえてきました。

そろそろ、フキノトウが顔をだします。

岩手ではフキノトウのことを「ばっけ」といいます。

婆様のことも「ばっけ」といいます。アクセントがちがいます。このアクセントを使い分けられましたら、あなたも岩手県人になれます。

フキノトウは天ぷらが一番。

2015年3月7日土曜日

3月6日 雪が一晩で50センチ積もったかと思うと、昼には解けて、朝、除雪機を使って損したかな、、という日が続きました。
岩手県出身の歌手、福田こうへいさんのおかあさんが、身内のかたと民謡をうたわれました。雫石町の「野菊ホール」で。お二人のコンビ名がなんと「てまどり姉妹」。勿論、あのお二人を真似たネーミング。「てまどり」は「手間賃を稼ぐ」ことです。会場、笑いとやんやの喝采。「でまどりさいぐべじゃあ」と言うようにつかわれます。

2015年3月2日月曜日

3月2日
岩手県滝沢市は春の風がふきあれています。
雪もちらついています。
雫石町では「同級生会」のことを「もろかい」といいます。漢字をあてると「諸会」となります。一緒といういみです。みなさんの地区ではなんといいますか。
もっとも、「もろかい」と言う年代は60代以上です。方言をつかう年代は高齢者になってきました。「なまり」はわかくてもありますが。
私は滝沢市の数人のメンバーで被災地支援活動をしている「すいかっこクラブ」の代表をしています。被災地の沿岸と内陸では方言も食文化もちがいがあります。

2015年2月28日土曜日

2月28日「古文書と民俗」のブログのものです。

ブログのタイトル「古文書と民俗」の頭に岩手県滝沢市といれたいのですが、、。

三寒四温、今朝、滝沢市の自宅の庭には10センチの積雪。
大きい道路はすぐとけるのですが、、、。
当方は昨年購入した除雪機作動。積雪のなか、リスは2匹きました。

今日からパソコンのなかの住所録作成開始。10人分うちこみました。
地区のパソコン教室3月8日までにどのくらいうちこめるのやら。メールアドレスも含めて。
詩集「四季の唄」筆文字手書きの清書中。3月6日には印刷屋さんへ。平成5年に発行したものを手直し増刷です。(B5版)写真におさめて画像をブログに添付できるよう挑戦してみます。 
四季の唄20コマ。春5コマ。というように。

たとえば 「 はつゆき」

ふわら ふわら ほっぺに ゆきんこ ふってきた  


                       ここに帽子の女の子の顔の絵

2015年2月25日水曜日

古文書と民俗

3回目のブログです。
まだ慣れていません。
2月25日。私は岩手県滝沢市の市民です。3・11以後岩手県沿岸の被災地の仮設住宅の集会所におじゃまし、手作りの「三閉伊一揆」(嘉永6年の一揆)の紙芝居を紹介しています。紙芝居といっても着物地の古布を貼ってつくったものです。南部盛岡藩の存亡になりかねないような日本国内で起きた一揆のなかでも最大級のものでした。「黒船」が来航していなかったら、、、この一揆に幕府はどのような対応をしたのでしょうか。「歴史にもしもはない」のですが、、、。隣の伊達藩にまで行った代表45人、一揆のリーダーたちを罰しないという南部盛岡藩の家老の安堵状をもらって帰村します。その安堵状が田野畑村の畠山家の3重の桐の箱にはいって保管されています。この2月に岩手県の指定文化財となりました。

2015年2月23日月曜日

2月23日(月)「古文書と民俗」の71歳女性です。
         今日、担当してます「歴史」教室で弘化3年(1846)9月23日        滝沢村(現滝沢市)から伊勢、金比羅参宮の「道中記」をよみました。
        月1回の教室で数ページの解読ですが、12回の講座で、今日現在「香        取」まで解読。書き手の当て字を読み当てたとき思わず苦笑。
        例えば  堂=当とかいてあります。三階(三重)=三かへ と。
        地名も耳で聞いた通り書いたと思われもの。書き手がなまって書いたも        の  例えば  潮来=え田権 のように。  
        

2015年2月22日日曜日

2015.2.22今日からブログはじめます

皆さん、こんにちわ。
岩手県の岩手山の麓でリスをみながら古文書の整理と解読の仕事をしています。
それと同時に地域の高齢者から民俗の話も聞き取りしています。71歳の女性。

クルミを毎朝ゲットしにくるリスの1匹です